Mag-log inアキラと呼ばれた男の足音が階層に響く。
やたら派手な装飾のついた服をなびかせながら、乾いた靴音が一歩、また一歩と近づく。 そのたびに、フロア全体の空気が張り詰めていくのがわかった。 ここにいる全員が息を殺し、視線をその細身の影に注いでいる。 沈黙を破ったのは、美月だった。「……何をしてるんですか、アキラ」 冷え切った声だった。 剣を構えるよりも鋭いその視線が、まるで氷柱のようにアキラを射抜く。 空気がさらに重くなる。クゼスでさえ、面白そうに目を細めている。「知り合いか?」 俺が小声で問うと、美月はほんの一瞬だけ目を伏せ、吐き捨てるように答えた。「勇者仲間の後輩です。……そして、私のストーカーです」 ……ストーカー? おいおい、クゼスに続いてコイツもかよ。どいつもこいつもストーカーじゃねーか! 思わず心の中でツッコんだその時、ア「――美月っ!! リアぁッ!!」 咄嗟に声が喉を裂いた。 鋭く尖った触手が二人を貫き、そのまま本体へと引きずり込もうと蠢く。 俺は考えるよりも早く、剣を振り抜いていた。 金属が擦れるような甲高い音と共に、触手が両断される。 黒い液体が飛び散り、焼けるような臭いが辺りに立ちこめた。 倒れかけた二人を抱き留め、すぐさま後方へ跳ぶ。 背後では切り落とした触手がのたうち、石床をえぐっていた。「……くっ……」 リルベアの身体からはまだ血が流れていたが、徐々に傷口が塞がっていく。 再生の速度は遅いが、意識ははっきりしている。 だが、美月は――。「美月! おい、美月ッ! 返事をしろ!」 声をかけても、彼女の瞳は焦点を結ばない。 胸を貫かれた傷口からは血があふれ、衣服を真紅に染めていく。 勇者の力を持っていても、彼女は結局ただの人間だ。 俺たちのような異形の再生もなければ、魔王の因子もない。 生身の人間は、脆い。 その現実が、皮肉のように突き刺さる。「嘘だろ……おい……!」 何度も肩を揺さぶる。 けれど、返事はなく、ただ虚ろな瞳が宙を彷徨うだけ。「っく……ヴァルト」 リルベアの声が、痛々しいほど静かに響く。「美月は、もう……」「やめろ!」 首を横に振る。耳を塞ぎたかった。 ありえない。こんな結末があっていいはずがない。 心の中で同じ言葉を何度も繰り返す。 だが現実は、残酷に俺の腕の中に横たわっていた。「っ!」 気づけば、視界が滲んでいた。 熱いものが頬を伝い落ちていく。 ――俺は、ずっと気付かないふりをしてきた。 出会ってそんなに日は経っていないかもしれない。 それでも、それな
悪食は蠢きながら進行を続けていた。 黒い泥のような肉体が脈動し、ぬるりと形を変えながら触手を伸ばす。 一本一本が生き物のように蠢き、獲物を探る蛇の舌のように空気を舐めていた。 その触手に絡め取られた魔物たちは、悲鳴を上げる間もなく崩れていく。 牙を剥いた狼も、鋼鱗を纏った竜の幼体も、翼を広げた怪鳥も――例外なく一瞬で溶け落ち、形を失った。 骨も肉も魔力も、ただの液体へと変わり、どろりと悪食の本体へ吸い込まれていく。 魔物たちの断末魔が重なり、耳にこびりつく。「……魔物を……食べてる……?」 美月が、信じられないものを見たように、かすれた声で呟いた。 彼女の瞳は恐怖と嫌悪に震えている。「そうじゃ」 リルベアが低く答える。 その声音には皮肉も余裕もなく、ただ冷徹な響きだけがあった。「喰らうことでその者の力を奪い、吸収して進化する。それが――悪食じゃ」 言葉を聞いた美月は硬直し、白い喉がこくりと上下する。 唾を飲み込む音がやけに大きく、緊張を際立たせた。 俺は奥歯を噛み締め、額に滲む汗を拭うこともできずに口を開いた。「……本気でやりあったとして、俺達に勝機はあるか?」 答えを聞きたくはなかった。 だが、聞かずにはいられなかった。 そして返ってきたのは――期待を粉々に砕く、あまりにも冷たい言葉。「ないな」 リルベアの瞳が、曇りなく俺を見据えていた。「あやつは既に多くの魔物を吸収し始めておる。その中には……クゼスや、男勇者も入っておるじゃろう。絶対に勝てん」 短く、断言された。 その一言は心臓を素手で掴まれたかのように重く、呼吸が止まりそうになった。 沈黙が三人の間に広がる。 重苦しく、逃げ場のない空気。 やがてリルベアがその沈黙を切り
魔素が収縮を始めた。 赤黒い霧が渦を巻き、空間の中心へと集束していく。 その密度はもはや大気ではない。鉄の塊を肺に押し込まれるような重苦しさに、呼吸一つが難しい。 パキン、と乾いた音。 フロアの空間そのものに、蜘蛛の巣状の亀裂が走った。 黒い線が四方に伸び、床も壁も天井もひび割れた鏡のように歪む。「なんなんだ、あれ……!」 思わず声が漏れた。 これはただの魔法や結界の崩壊ではない。世界そのものが割れ、外側にある何かが押し寄せてきている。 美月は青ざめた顔で剣を握りしめ、肩を震わせている。 彼女の光の剣すら、濁った空気の中で輝きを弱めていた。「始まりよったか……」 リルベアの声が静かに響いた。 いつもの皮肉も余裕もない、緊張を帯びた声音。 黄色の瞳に強い決意の光が宿る。「ヴァルトよ、悪いが――ダンジョンを作り変えるぞ」「はぁ!? 今そんな――」 驚愕する俺をよそに、リルベアは即座にモニターへと手を伸ばした。 指先が走り、無数の符号と魔術式が空間に浮かび上がる。「っ……揺れるッ!」 美月が小さく悲鳴を上げ、よろめいた。 直後、ダンジョン全体が大きく震えた。轟音と共に床が波打ち、壁がせり上がる。 フロアは裂け、視界がぐにゃりと歪む。 次の瞬間――目の前に広がったのは、見渡す限りの超巨大空間だった。 天井は高すぎて霞み、壁は遥か彼方。 まるで別世界を丸ごと切り取ったかのような光景に、息が詰まる。「美月、大丈夫か!?」 彼女の腕を掴んで支えながら、俺は叫んだ。「リア、一体何をやったんだ!?」 リルベアは一度だけ振り返り、冷ややかに答える。「ダンジョン内の下等生物どもを強制的に外へ排出し、五階層までの空間を一つに集約したのじゃ」「なっ……!? なんでそんなこ
クゼスの胸を貫いた青黒い閃光がようやく収まり、フロアを覆っていた重苦しい気配が静まっていく。 満身創痍のクゼスの身体から、黒い靄が立ちのぼる。 それは煙ではない。肉体そのものが崩れ落ち、灰になっていく。「……ク、ククク……まさか……本当に……殺られるとは……思いませんでしたよ」 声は掠れ、血と灰にまみれていた。 黒翼がひび割れ、床に崩れ落ちる。折れた翼の破片が硬い石床に散らばり、カラカラと乾いた音を響かせる。 ヴァルトは息を荒げながら剣を構え直す。 額から滴る汗が血と混じり、視界を曇らせる。 美月も、リルベアも、誰もがその様を息を飲んで見つめていた。 だが――クゼスの瞳だけは、まだ死んではいなかった。「しかし……私はしつこい魔王なんでね。……ただで殺られるつもりは……ないですよ」 口元に不気味な笑みを浮かべ、虚ろな瞳のままこちらを睨み据える。 灰になって崩れ落ちながらも、なお力を宿すその様子は、まさしく執念の化身。 その執着の矛先は、やはりリルベアだった。「――さぁ、皆さん」 声が低く響き渡る。まるで冥府の底から這い出した亡霊のように。「仲良く……地獄観光と行きましょうか」 次の瞬間、クゼスは指先をひねるようにして魔力を解き放った。 空間そのものが悲鳴をあげ、頭上から無数の魔石がばら撒かれる。 きらめく光の粒は、まるで夜空を逆さにしたかのように散らばり、空気を満たしていく。 だが美しさはほんの一瞬。すぐに黒く濁り、不気味な禍々しさを帯びていった。「な……にを――?」 ヴァルトが息を呑む。直感で理解した。これは“ただの魔法”ではない。「まずい! ヴァルトッ! あやつを止めよッ!」 リルベアが叫んだ。その声は今までにないほど切迫していた。 普段の余裕も皮肉も欠片もなく、ただ焦
重苦しい沈黙が、ほんの一瞬だけフロアを満たした。 黒い靄が渦を巻き、地面から立ち上る魔力が次の攻撃の予兆を告げている。 ヴァルトは剣を握りしめると、美月とリルベアの肩に手を置き、低く囁いた。「……作戦はこうだ」 二人の瞳が大きく見開かれる。「なるほど……!」 美月が思わず声を漏らし、リルベアは一拍遅れて口元に笑みを浮かべた。「ふん……本当に一か八かじゃな。失敗は許されんぞ」「ああ、分かってる。この作戦は美月が鍵だ。頼めるか?」 ヴァルトの問いに、美月は震える手を強く握り直し、力強く頷いた。「確実に決めます!」 剣が光を帯び、三人は再び構え直した。 その瞬間、クゼスの背後で黒翼が大きく広がる。「何を考えているのか知りませんが――無駄ですよ」 狂気じみた笑みと共に、クゼスの魔力が一気に膨張する。 地面がひび割れ、フロア全体が震える。「これで終わりですっ!」 咆哮と共に、魔力の奔流が形を取り始める。 黒い靄が絡み合い、無数の大蛇へと姿を変えた。 次の瞬間、闇色の大蛇が一斉に牙を剥き、フロア全体を覆い尽くす。 そのうねりは、逃げ場など存在しないと言わんばかりだった。「来るぞッ!」 ヴァルトが叫び、全員が一斉に跳躍する――だが、その瞬間だった。 ピン、と指を弾く乾いた音が響く。 青黒い閃光が空間を裂き、奔る稲妻のように大蛇の群れを薙ぎ払った。 轟音と共に光が弾け、フロア全体が青白く照らし出される。「っ……!?」 クゼスが一瞬驚愕に目を見開く。 しかし、すぐに表情を歪め、反撃の魔法を発動した。「危ない危ない……魔族でありながら、あなたのその技は聖属性を含んでますからねぇ」 不気味に笑いながら、クゼスは剣を振り抜いて閃光を相殺する。 視線の先
黒い靄が渦を巻き、フロア全体が闇に飲み込まれる。 クゼスの四枚の黒翼が大きく羽ばたくと、地面が唸りを上げて裂け、無数の棘が四方八方に伸び出した。「飛べッ!」 咄嗟にヴァルトは美月の腰を抱き寄せ、地面を蹴った。 棘が背後を貫き、着ていたマントが裂ける。間一髪の跳躍。「えっ――!?」 美月は驚きに目を見開くが、次の瞬間にはしっかりと腕の中で剣を構え直す。 空中で体勢を整え、ヴァルトは魔力を噴射して反動をつけると、クゼスから距離を取りつつ着地する。「……助かりました」 顔を赤らめた美月が短く礼を言い、再び前を見据える。 そのわずかな一瞬を狙い、クゼスの追撃が迫った。 異形の手が空間を裂き、ヴァルトたちを薙ぎ払うように迫る。 リルベアが空中で軽やかに舞い、風の衝撃波を放って軌道を逸らした。「次が来るぞ!」 リルベアの声と同時に、上空から黒い魔弾が雨のように降り注ぐ。 美月は光の障壁を展開し、全弾を防ぎ切った――が、障壁に無数のひびが走る。「っ……!」 美月の肩が大きく揺れ、息が乱れ額に汗がにじむ。「大丈夫か、美月!」「問題……ありませんっ!」 声は震えていないが、魔力の消耗は限界に近い。 光の剣もかすかに揺らぎ、輝きが薄れていた。「なら、もっと面白くしましょうか!」 クゼスが狂気じみた笑みを浮かべると、地面全体が黒く脈打ち、次の瞬間―― 黒い槍がフロア全体から突き出す。「ッ……!」 ヴァルトは再び美月を抱え、横跳びに棘の林を抜けた。 棘が壁や天井を貫き、破片が雨のように降り注ぐ。 着地の瞬間、ヴァルトは美月を下ろし、剣を横薙ぎに振るって破片を一掃した。「感謝します」 美月が短く礼を言い、光刃を振り抜く。 その一閃がクゼスの肩をかすめ、黒い血が飛び散った。
画面の奥には、俺の“ダンジョン”の全体図が浮かび上がっていた。 その地図を眺めながら、俺は腕――いや、正確には核だから腕はないけど――まぁそういう感じで考え込む。 やるなら、徹底的にやってやろうじゃねぇか。「まずは階層を増やす。これだけ侵入者が増えてるなら、ワンフロアで収まるわけがないしな」 そう呟きながら、構築開始。 今ある空間の下層に、新たな階層を次々と追加していく。 しかも、ただの迷路じゃ芸がない。 ニ層目は錯視を利用した視覚トラップ中心の構造。
……眩しい。 まぶたの裏に差し込んできた柔らかな光に、ゆっくりと意識が引き戻されていく。 なんだろう、この感覚……眠っていた? 俺が? まるで数日間、何もかもを忘れて眠っていたかのような――。「……ぐぅ、すぅ……むにゃ……」 ふと耳に届いた微かな寝息に目を開けると、視界の端に見慣れた金色の髪が映った。 空間の片隅。石造りの壁際に座り込んでいるのは、我が眷属・レイラだった。 相変わらずの無表情……って、寝てる!? 驚きつつも、その寝顔が
ダンジョンの最深部――俺、ヴァルト・ノクスの“核”が鎮座するこの空間は、相変わらず静かだ。 目の前に立つのは、相変わらず無表情で毒舌な美女、眷属のレイラ。 静寂を破ったのは、そんな彼女の淡々とした一言だった。「……それにしても、あの冒険者、思った以上に弱かったですね。反応も遅いし、攻撃も単調で」 いやいや、普通に強かったと思うんだけど? 俺の罠とゴブリンくんたちなんか“秒殺”されてたぞ。 「弱くはないと思うんだけどなぁ。ほら、召喚したゴブリンくんたち瞬殺されちゃったし」
レイラがずんずんと通路の奥へ進んでいく。その背中を、俺は観察用のモニター越しに見送っていた。 世界の声の案内でダンジョンの監視用インターフェースを開き、ようやく慣れ始めたウィンドウ操作をこなしながら、ふと気づく。 ……ていうか、俺が最初に設置した罠とかゴブリンたち、あれ全然意味なかったんじゃ? その疑念はすぐに現実になる。 最初の侵入者――黒髪の冒険者が現れ、俺が丁寧に配置した罠を、まるで散歩でもするように突破していったのだ。 落とし穴はひょいと飛び越え、毒針は携えた小型盾で難なく弾







